Apple(アップル)といえば、iPhoneやiPad、Macなど、どれもカッコよいヒット製品ばかりリリースしているイメージがあります。とくに1997年7月に創業者スティーブ・ジョブズ氏がAppleに復帰してからはハズレなしの大躍進を遂げていると感じている方も多いのではないでしょうか。
その線で基本的に間違いはないと思いますが、それでもAppleには"チャレンジングすぎた?"製品がいくつも存在しています。そこで今回は、そんな品々の一部を回顧してみたいと思います。
(なお、本記事ではApple Computer Company、Apple Computer,Inc、Apple Inc.をAppleと表記しています)
- もくじ
1.「安全にやろうと思うのは一番危険な落とし穴なんだ」
Appleは近年「GAFA」または「GAFAM」の1つに数えられるほど世界に影響を与える存在になっています。Appleは創業当時から、先進性のある製品を開発し、市場に投入していく積極的な姿勢を貫き、現在の地位を築いてきたといえます。
この考え方は、創業者の一人であるスティーブ・ジョブズ氏の言葉「安全にやろうと思うのは一番危険な落とし穴なんだ」に表されています。転ぶなら前へ!ではありませんが、同社のチャレンジングな姿勢をリスペクトしている人は多いはずです。
2.強烈な存在感のゲーム機「Pippin @.」
最初に回顧するのは異色の存在の「Pippin @.(ピピンアットマーク)(以下、Pippin @.)」です。Pippin @.は、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがApple(当時はApple Computer)と共同開発したMacintosh(MacではなくMacintosh)互換のマルチメディア機です。
ちなみに「ピピン」はリンゴの品種名なので、作り手側としてはMacintosh(こちらもリンゴの品種名)互換がアピールポイントだったのだと思いますが、一般的にはゲーム機とされていることが多いと思います。
Pippin @.は、1996年に登場し日本とアメリカで発売されました。アメリカでは「Pippin @.WORLD」という名です。OSは「pippinOS」で「Classic Mac OS」と互換性があり、ゲームやマルチメディアタイトルを楽しむことができました。
1990年代中ごろの登場ですが、記憶媒体としてCD-ROMドライブとフラッシュメモリを使用し、HDDは採用されませんでした。また標準でモデムが搭載されていて、電話回線を利用したダイアルアップ接続でインターネット接続ができ、当時の最先端のハードだったと思います。
しかし、様々な要因が重なって成功しませんでした。販売台数は低迷し、「世界で最も売れなかったゲーム機」といわれるようになりました。この顛末はNHK-BSプレミアムの番組『神田伯山のこれがわが社の黒歴史』第1回でバンダイ側の視点から紹介されています。
ネットメディアが発達するとPippin @.はよく取り上げられる存在になりました。一般的にはハードとしてはとても先進性が高い優れたものだったが、ソフトウェアが不足していたとレビューされることが多いようです。
ハードウェアとソフトウェアの関係は密接です。多くのハードウェアがヒットするときほとんどがキラーコンテンツを持っていたことがほとんどです。任天堂のファミコン(ファミリーコンピュータ)なら、誰もがはじめに『スーパーマリオブラザース』を思い浮かべると思います。Pippin @.にはこういった大ヒット作がなかったと指摘されることが多いです。また、当時としてはハードが高かった(約5万円)ことも成功への壁になったという評もあります。
この後、バンダイは「バンダイネットワークス」を立ち上げ、Pippin @.で得たノウハウを活用したといわれています。Appleはゲーム機をリリースしていませんが、ゲームのサブスクリプションサービス『Apple Arcade』等でゲームには積極的に関わり続けています。
3.早すぎた?「Newton」「eMate 300」「QuickTake」
3-1 おそらく世界初のPDA「Newton」
1993年に発売されたAppleのPDA(Personal Digital Assistant:携帯情報端末)が『Message Pad』です。正式名は「Message Pad」ですが、搭載されていたOS『Newton OS』から『Newton』と一般的に呼ばれていたことから、ここではNewtonと呼ぶことにしたいと思います。
Newton開発期に当時のApple社長ジョン・スカリー氏が「PDA」という言葉を用いたことから、その意味で第1号のPDAと考えられますし、PDAからはじまる、現在のスマートフォン等の情報端末時代の幕を開けた名機といってよい存在です。しかし、創業者スティーブ・ジョブス氏がAppleに復帰した際には整理の対象となりました。そのため、すこし良くないイメージがついてしまった気がします。
実際、Newtonシリーズは1993年から1998年の期間にわたって展開され、それなりの成功を収めたように感じられます。発売終了後も熱狂的なファンによって支えられ、オークション等では高値がつく事例も多く報告されました。
ちなみに、Newton用のサードパーティアプリケーションの1つがPalmの開発した手書き認識アプリ「Graffiti」でした。後にPalmは自社でPDAを開発し、販売した「PalmPilot(1997)」がヒットしています。
3-2 未来を予見していた「eMate 300」
「eMate 300」はAppleが作った教育市場向けの携帯情報端末です。見た目はMessage Padに似ていませんが、上記のNewtonシリーズの1つです。1997年に登場し、1998年にNewtonシリーズが整理されたため短期間で消えてしまったちょっと残念な機種です。
eMate 300は、教室内で使うことを想定した堅牢なボディで、背面には持ち運び用のハンドルがつられるなど、教育現場でパソコンを使うことがよく考察されていたマシンでした。そのコンセプトは、現在、日本で展開されている「GIGAスクール構想」を先取りしたものともいえます。
現在はどちらかというと「チャレンジングすぎた枠」に入れられることが多いeMate 300ですが、デザインがその後の『iBook』『iMac』に似ていたり、教育現場でのデジタル活用を先取りした先見性から、将来、"先駆者"として評価が変わるかもしれません
3-3 気になる存在のカメラ「QuickTake」
『QuickTake』はAppleが1994年から1997年に販売したデジタルカメラです。現在はその名がiPhoneの動画撮影機能の名称として再利用されています。
当初はMacintosh専用のデジタルカメラというコンセプトでしたが、当時、すでに他社から汎用デジタルカメラがQuickTakeより安価で提供されていたこともあり、大ヒットには至りませんでした。ちなみに、1995年にはQuickTakeもWindowsパソコンに接続できるようになっています。
前述のように1997年には事業撤退していますが、Appleはデジタルカメラについてはノウハウを得ていたはずで、その技術やノウハウはiPhoneで活用されているように思います。つまり、「Newton+QuickTake」の答えが「iPhone」なのかも......と思わせてくれる渋い存在感があります。
4.音楽アルバム「無料配布」はやりすぎだった?
Appleはサービス面でもチャレンジャーです。2014年に「iPhone 6」発表会でiTunesユーザー向けにロックバンド「U2」の最新アルバム「Songs of Innocence」を無償で配布すると表明しました。
しかし、これが不評でした。大きな理由といわれているのはアルバムが自動的にダウンロードされてディスクやメモリの記憶容量を消費し、さらにiTunes上で非表示にはできても削除できない仕様だったからです。前例のないチャレンジでしたが、もうちょっと何らかの配慮があれば騒動は防げたかもしれないと感じられます。
とはいえ、Appleにとっても競合他社にとっても音楽配信の大きな教訓となる出来事だったことは間違いありません。その意味では成果があったといえるでしょう。
5.立ち位置が微妙といわれたプロダクツ
5-1 ポップなスマホは是か非か?「iPhone 5c」
「iPhone 5c」は「iPhone 5」の後続機の1つとして2013年9月に発表されました。上位機として「iPhone 5s」が設定されていたので、廉価版といわれることが多い機種です。これまでと異なりポップな外観となりましたが、2014年9月に姿を消しました。
この理由は報道等でもいろいろと取り沙汰されましたが、今一つはっきりとしていません。一部報道では廉価版であるにも関わらず、ライバルのAndroid機よりも割高感があったことなどが指摘されています。
他のiPhoneシリーズとは異なる、丸っこくてポップなカラーリングをかわいいと評する人もいただけに、また、何らかの形でポップ路線が登場する可能性もある気がします。
5-2 時代を先取りしすぎた「LISA」「Apple III」
すこし時代を遡りましょう。1983年1月に発売された16bitコンピュータ『LISA』は、その名が「Local Integrated System Architecture」の略とされていましたが、実はスティーブ・ジョブズ氏の娘さんの名前が由来となっています。LisaOSが搭載され、先進的なGUI機能を誇りましたが、価格の高さと動作の遅さがネックとなり、商業的には成功しなかったといわれています。
本体、ディスプレイ、外部記憶装置等々が一体型というコンセプトはその後のMacintoshやiMacといったシリーズに引き継がれており、Appleデザインコンセプトの源流の1つといってよいかもしれません。
LISAの前モデルである「Apple III」は1980年に登場したパソコンです。大ヒット作「Apple II」の問題点の解消をテーマに開発されましたが、発熱や安定性に問題があり、失敗に終わったとされています。この背景には、パソコンの騒音をなくすために冷却ファンや通気口をつけないという、当時としてはチャレンジングすぎた(かもしれない)試みがなされたこともあったという指摘もあります。
近年では消費電力を抑えた静かな「ファンレスPC」も人気なだけに、かなり先行したコンセプトだったということもできるのではないでしょうか。
まとめ
Appleは1976年4月1日にスティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ウォズニアック氏、ロナルド・ウェイン氏によって創業されてから、様々な伝説を残してきました。今回見てきた中で、Pippin @.は強い印象を残してくれますが、コラボレーション作で実は異色の存在です。それでいて、チャレンジングな姿勢が色濃く表れたプロダクトでもあると思います。それゆえ愛されるのでしょう。
これからAppleが作り出す新たな伝説に期待したいところです。