コラム
TOP >  コラム >  コラム詳細

ゲーム世相を斬る  第5回 : 「ユーザーがゲームに求めるもの?」とは

みなさん、ゲームを楽しんでいますか。


今回のテーマはユーザーがゲームに求めるものという内容でお送りします。

逆を言えばゲームはユーザーに何を提供できるのかということになります。


ゲームはメディア(記録媒体)を媒介としてユーザーに提供される娯楽としては比較的歴史の新しいものです。

ゆえに、もともとはそこになかったものが新たに生み出されたもので、そこに発生する感情は新しく生まれたものと考えることができます。


もともとゲームはスポーツの延長線上にあるものだと思います。

他者との強弱や優劣を比較するもの、もっと古くは戦いと言っても過言ではないでしょう。

そして、その結果、勝者はカタルシスを簡易的に得ることができ、敗者は再度挑戦するという仕組みがゲームになったのではないかと思います。

(カタルシス=精神状態の浄化を意味します。)



黒川文雄
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDE、にてゲームソフトビジネス、デックス、NHNjapanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。IT・エンタメ勉強会・黒川塾主宰。
ゲームが音楽や映像などと決定的に異なるのは、自ら始めること、自らが判断することが大きな違いです。


確かに、「音楽だって自分で選ばなければ聞かないじゃないか」とか「映画だって、観たいから行くはず・・・」という声があるのはよくわかります。

確かにきっかけは同じですが、その途中に発生する「選択肢」や「判断」もしくは、もっと簡単に言えばどのボタンを押すかによって大きく結果が異なってくるのがゲームです。


ゲーム黎明期の80年代初頭はひとりでゲームを遊ぶことが前提でした。

しかし、一般に「遊び」や「スポーツ」は競合しあってこその楽しみや達成感を味わえるものです。

またその時期のゲームは業務用のものしかない状況で、デパートの屋上や旅館などのゲームコーナーなどにひっそりと置いてあるものがほとんどで、単なるヒマつぶし的なものが多かったと思います。


私の幼少期の記憶には潜水艦の潜望鏡から見て敵船を沈没させるゲームや、原理はとても簡単な、ドライブベルトの上に描き割りのような道路をミニチュアカーに金属の棒がついたコントローラ=ハンドル操作で、同じパターンの上をはみ出さないように運転するというものがありました。



今思えばなんと原始的なものだっただろうかと思いますが、当時はかなり興奮をしたものです。

つまり経験したことのない娯楽であり、なおかつ自分でコントロールするというある種の夢を具現化する娯楽をゲームに感じたからに他なりません。


その後ゲームは高度成長期を経て大きく変貌します。

スペースインベーダーの大ブームにより大きな現金を生み出すことが証明され、多くのゲーム会社が誕生することになりました。

またこのときには、クリア面数やハイスコア(高得点)、クリア・テクニックなどがクチコミで拡がり、「名古屋撃ち」という独特のテクニックも生まれました。

おそらく日本のゲームシーンはこのスペースインベーダーによって夜明けを見ることになりました。

このときは誰が一番早くクリアするか、誰がどれだけのハイスコアを記録するか、誰がどんな風にきれいにクリアするかなどが各地で競われたものでしょう。

それらは今現在でも「全体(全国)における順位」「クリアまでの時間(スピード)」「画面上の技の綺麗さ」などが競われることになります。


事実、私がセガ時代に・・・

1| 2

>

>>



第4回 第6回


連載一覧

1| 2

>

>>