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ゲーム世相を斬る  第6回 : 今までも、これからもゲームは進化し続ける

みなさん、ゲームを楽しんでいますか。


ご高覧いただきましたコラムですが、今回で最終回になります。

長らくのお付き合いありがとうございました。

また機会があれば、お目にかかれることを楽しみにしております。


さて、最終回のテーマは「ゲームの未来」という、ちょっと大上段に振りかぶったテーマでお送ります。

とは言っても難しいことを書くつもりはありません。

きわめてシンプルなエンタメ(娯楽)とは何かということを書いてみたいと思います。



黒川文雄
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDE、にてゲームソフトビジネス、デックス、NHNjapanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。IT・エンタメ勉強会・黒川塾主宰。
前回のコラムで書いたように、電子的なゲームは、いわゆるゲーム喫茶やゲームセンターに端を発しています。

ちょうど私が高校生の頃(1978年)に、インベーダーゲームのブームが到来しました。

その頃はゲームセンターのイメージは不良のたまり場と言われ、怖い、汚い、暗いという「不健全3要素」が複合した施設でした。

それにタバコの煙も加わって魔窟のようなものだったと記憶しています。


私はこのゲームエンタメの萌芽を「ゲームエンタメの第1次産業革命」と呼んでいます。


しかし、インベーダーゲームがブームとして脚光を浴び、産業として大きなキャッシュ(現金)を生むことになり、多くの会社がゲームソフト産業に参入しました。

その結果、新しい遊びとして認知され、のちにそれらのエンタメが家庭に導入されることになります。

それが家庭用ゲーム機であり、ゲームソフトです。

この変革をもたらしたのは、アメリカのATARI(アタリ)が開発したATARI2600(別名VCS)というコードネームで知られた家庭用ゲーム機です。


実際にこの機材自体は日本ではエポック社が販売しましたが、たくさん売れたという実績はなくあくまで海外の珍しい機械という印象だったと思います。


その後、ゲームは任天堂のファミリーコンピュータ(通称ファミコン1983年発売)により加速度的にゲームというエンタメが普及します。

その理由はいままでゲームセンターで、100円で2-3分しか遊べなかったゲームが、思う存分、好きなときに、自宅で遊べるという理由が大きかったと思います。


そして、これらの自宅に居ながらにしてゲームセンターと同じものが遊べるというのは「ゲームエンタメの第2次産業革命」であり、ユーザーのライフスタイルに変化をもたらしました。

つまり好きな時に、好きなゲームを(選んで)、寝転んでもいいし、正座してもいいという、好きなスタイルでゲームを楽しめることになったことは、大きな生活の変化だったと思います。


その後、1990年代になるとハードウェアのスペックが大幅に向上します。

従来のドットで描いたシンプルな画像から、リアルな画像、リアルな表現の3次元のコンピュータグフィックスを活用したゲームに進化を遂げました。

これ自体はゲームの根源的なものは大きく変わっていないのですが表現の幅が大きく広がったこともあり、「ゲームエンタメの第2.5次産業革命」と呼んでいます。


2.5次とはちょっと中途半端かもしれませんが、基本の構造やゲームの概念が変わるまでには至っていないという視点から2.5次的な進化を遂げたと思います。


さて、それでは「ゲームエンタメの第3次産業革命」とはなんでしょうか。



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