1981年に発表された「IBM-PC」を始祖とする「IBM-PC互換機」。今や「PC」となり、パソコンのデファクトスタンダートとなっています。なぜ1メーカー(IBM)のパソコンから出発した"互換機"が天下を取ることができたのか、その理由と背景をざっと見ていきたいと思います。
- もくじ
1.「IBM PC/AT互換機」とは
「IBM PC/AT互換機」とは、その名の通り、「IBM PC AT(IBM Personal Computer AT)」の互換機のことです。「IBM PC AT」は1981年8月に登場した「IBM PC」、その改良版である1983年の「IBM PC XT(IBM Personal Computer XT)」をさらに発展させたモデルとして1984年に登場しました。ちなみに「XT」は「eXtended Technology(拡張技術)」、「AT」は「Advanced Technology(先進技術)」の略です。
一般的には「IBM PC互換機」、「PC/AT互換機」、「DOS/V機」、「DOS/Vパソコン」ともいわれます。初期の経緯から「IBM PCクローン」と呼ばれることもありますが、これは現在の情勢には合わない呼び方だといえると思います。
今では、オリジナルの「IBM PC AT」から発展と拡張を繰り返しており、相互に動く"互換機"というよりも、事実上の市場標準(デファクトスタンダード)のパソコンや仕様となっており、もはや、「PC/AT互換機」ではなく、「PC」と呼ばれる存在だといってよいでしょう。
2.「IBM PC/AT互換機」の歴史
2-1 IBM-PCの誕生
「IBM PC」は1980年頃、「Apple II」や当時8bitのパソコン用OSとしてメジャーだった「CP/M」が動作するパソコンでシェアが占められていたホームコンピュータ(パーソナルコンピュータ)市場にIBMが参入するために開発したパソコンです。
開発にあたったのは特別プロジェクトチーム「チェス」です。「IBM PC」は短期間での開発が課せられたため、チームはCPUやメモリ、記憶媒体といったハードウェアやパーツを市場から調達することを選択しています。これは自前を是とするIBMのスタイルとは異なるものでした。つまり「IBM PC」は、一般に市販されている部品で構成されており、ソフトウェアも外部のものを採用しています。こうして、「IBM PC」は1981年8月12日に発売されました。
そのため、性能的に見ると突出したものはありませんでしたが、拡張性が考慮されていたことや仕様が公開されていたこともあって、サードパーティーのハードウェアやソフトウェアの発売が相次ぎ、次第に「使える」パソコンとして評価されることになったのです。
2-2 PC/AT互換機の登場と普及
IBMがホームコンピュータを狙って発売した1981年の「IBM PC」、バージョンアップされた1983年の「IBM PC XT」、1984年「IBM PC AT」はビジネス市場でヒットします。IBMの信頼の高さがビジネス市場でのヒットの要因だといわれています。また、IBMは仕様を公開して、拡張ボードなどでサードパーティーの参入を容易にしていたことも人気を後押ししました。
しばらくすると「IBM PC」には市場で入手可能なパーツとソフトウェアが使われていて、仕様が公開されていたため、それをコピーしたクローン(IBM PCクローン)と呼ばれるパソコンが登場しますが、その後、合法的な互換機が登場します。
当初、IBMは互換機を作るにはBIOSが必要で、BIOSを公開してもそのまま使用すれば著作権侵害になることもあり、互換機は作られないと考えていたといわれています。しかし、1982年になると著作権侵害とならない互換BIOSが作られ、合法的な互換機が作られることになりました。
1982年には互換機メーカーの雄となる「コンパック(COMPAQ)」が誕生、続々と互換機メーカーが登場し、互換機市場が形成されていきます。1983年の「IBM PC AT(IBM Personal Computer AT)」の時代以降、この流れは決定的となります。
1986年には、コンパックがIBMよりも先にIntelのCPU「80386」を採用し、規格がIEEE(アイ・トリプル・イー:米国電気電子学会)によって標準化され、PC/AT互換機市場が確立することになったのです。
2-3 OSが「MS-DOS」から「Windows」へ
「IBM PC」はOSとして、Microsoftが作った「IBM PC DOS(The IBM Personal Computer Disk Operating System)」を採用していました。これはIBM版の「MS-DOS」です。IBMはMicrosoftにIBM以外のメーカーにも「MS-DOS」をOEM供給することを許しました。これにより、ソフトウェア面でもPC/AT互換機市場の成長が加速したことになります。
のちに、OSとしてMS-DOSを採用したことが、「IBM PC」市場の拡大と飛躍の一因となり、逆にPC/AT互換機市場でIBMが主導権を失う一因となったと評されましたが、評価は難しいところだと思います
その後、PC/AT互換機のOSは、現在のパソコンOSの主流である「Windows」へと進化し、「PC」としての存在感を絶対的なものにしていきました。
2-4 「世界シェア1位」へ
PC/AT互換機市場が一気に伸びた理由として、キラーアプリケーションの存在も大きかったといわれています。それは、ロータスの表計算ソフト『Lotus 1-2-3』(1983年~)です。
アメリカでは確定申告をする法人・個人の数が多いため、パソコンでの表計算ソフトのニーズが高く、Apple IIでは表計算ソフト「VisiCalc」がヒットしていました。
その中で登場した『Lotus 1-2-3』は当時、それまでのどの表計算ソフトよりも高機能だといわれました。さらにPC/AT互換機に特化したモードを用いると他を圧倒する速度で計算できることもあり大ヒット。PC/AT互換機の存在感を大いに高めることになったのです。ビジネス市場において『Lotus 1-2-3』は必須といわれるほどになりました。
3.なぜ、世界シェア1位になったのか?
3-1 「オープン・アーキテクチャ」が市場を形成した
PC/AT互換機、つまりPCが世界のシェア1位となった最大の要因は「IBM PC」が「オープン・アーキテクチャ」を採用していたからです。ハードウェアの仕様が公開され、OS(MS-DOS)をOEM供給することで、サードパーティーが拡張ボードやメモリ分野、ソフトウェア分野で参入しやすくなり、さらに他のメーカーが互換機を製造しやすくする下地が作られていました。
前述した開発チーム「チェス」を率いたのはドン・エストリッジ(Don Estridge = Philip Donald Estridge)氏です。Appleなどが主導していたパソコン市場にコスト面で対抗できる機種を短期間で開発し投入する必要があったことから、エストリッジ氏はIBMの自前の技術を用いる伝統を捨て、「オープン・アーキテクチャ」を採用しました。
この結果、さまざまな企業が「IBM PC/AT互換機」市場に参入することになりました。数多くのメーカーが参入することで、特定メーカーの影響力は低下し、規格の標準化が進むことで市場競争が発生し、ユーザーは多種多様な選択肢からニーズに合った最適な製品を選べるようになり、市場は拡大を続けたことになります。
それがIBMの影響力を減じさせ、逆にOS分野でMicrosoftが圧倒的な優位を占めることになったのは、ある意味、皮肉な結果だといえるのかもしれません。しかし、別な選択がされた場合、PC/AT互換機が世界を制したかは分からないところだと思います。
3-2 開発が自由なため、性能向上のスピードが速かった
「オープン・アーキテクチャ」により、メーカーは独自の新技術やアイデア、改良、カスタマイズを加えて製品を開発することができるようになりました。PC/AT互換機の性能向上のスピードは速く、ユーザーには便利で高品質な製品が次々と提供されることになりました。
メーカーや製品間の差別化も進み、ユーザー側から見ると、選択肢の多い、魅力的な市場が形成されていったことになります。このサイクルがPCのシェアをより伸ばしていくことになったのでしょう。
3-3 市場の競争が促進された
逆にメーカーは常に競争にさらされることになりました。競争の激化は技術革新を促し、パフォーマンスの向上や価格の低下が実現しました。競争は激しいものとなり、時に規格を決める主導権争いなどもありましたが、次第にWindows OSを開発するMicrosoftとCPUメーカーのIntelが主導的な立場となりました。この状況を「Wintel(ウィンテル)」と呼ぶこともあります。
その後、メーカーの吸収合併などが進み、業界再編の動きも活発です。象徴的なのが、「IBM PC」を開発したIBMが2004年にパソコン事業を中国に本拠を構える国際企業「レノボ(Lenovo)」に売却したり、互換機市場のリーダーと目されていたコンパックが2002年にヒューレット・パッカードに買収されたりするなどしたことでしょう。
4.「IBM-PC」が変えたこと
4-1 「オープン」路線の一般化
「IBM-PC」とその後の「IBM PC/AT」互換機は、コンピュータ産業に大きな影響を与えました。「オープン・アーキテクチャ」が市場拡大に有効なこと、技術革新を生じさせることを実際に世界規模で証明したことは大きく、その後のさまざまな「オープン」路線にポジティブな影響を与えました。
4-2 Linuxなど、多様なOSの普及
PC/AT互換機の時代より以前からあった「オープンソースソフトウェア(Open Source Software)」の文化と「オープン・アーキテクチャ」のPCの文化がまじりあい、1990年頃から、オープンソースでフリー(無料)のOSも数多く登場し、普及していきます。代表的なOSとして「Linux」(1991年~)、「FreeBSD」(1993年~)があります。「オープン・アーキテクチャ」の結果、使用できるOSが増え、ユーザーの選択肢はさらに幅広くなりました。
この結果、PC/AT互換機はパーソナルコンピュータ(ホームパソコン)の範疇を超えて利用されるようになり、現在ではインターネットなどで利用されるサーバーをはじめ、各種スーパーコンピュータのベースとして活用されたり、産業用機器として使われたり、小型化されて携帯情報端末としても活用されるようになりました。
まとめ
「IBM PC」の「オープン・アーキテクチャ」が、コンピュータのデファクトスタンダードを創造しました。
この決断をした開発チーム「チェス」を率いたエストリッジ氏は残念ながら1985年に飛行機事故(デルタ航空191便墜落事故)で亡くなってしまいました。もし、事故が無かったらどんな未来になったのかと思わずにはいられません。