デジタルトランスフォーメーション(DX)の波が押し寄せる中、IT人材の不足が深刻な問題となっています。この課題に対する新たなアプローチとして、「市民開発」が人気です。
今や「市民開発」は、DX推進の「切り札」的存在であるだけでなく、社員のリスキリング(再教育)や人材育成の手法としても注目を集めています。
一方、ユーザーが業務用アプリを開発する考え方は、以前から「EUC(End User Computing)」として知られています。そこで今回は、市民開発とEUCの基本、メリット・デメリットを比較して、非IT部門によるアプリケーション開発についてまとめてみました。
- もくじ
1. 「市民開発」とは?
1-1 市民開発=非技術者がアプリ開発をすること
市民開発(Citizen Development)は、非技術職の社員がIT技術者に頼らず、ローコードまたはノーコードツールを使用して自分でアプリケーションを開発することを指します。市民開発はITリソースが限られた企業だけでなく、日々の業務で迅速にソリューションを求められる現場でも積極的に活用されています。
メリットは従来、IT部門に依存していた業務アプリケーションの開発が、各部署の担当者自身で迅速に行えることで、業務効率化が素早く行えることと、コスト削減にあるとされています。
1-2 市民開発の活用例
市民開発の代表的な成功シナリオは、日常の業務プロセスの自動化や、特定の業務フローを最適化するためのアプリケーション開発だといえます。
例えば、経理部門では、経費申請の自動化やデータ入力作業を簡易的に処理するツールを開発することが可能です。また、営業部門では、顧客管理システムをカスタマイズして、業務の効率を高めることができるでしょう。よく事例としてあげられるのは以下のようなものです。
顧客管理システム(CRM)のカスタマイズ
営業部門などで、営業担当者が利用していたCRM(Customer Relationship Management)システムをカスタマイズして新しい機能を追加したり、顧客対応の効率向上を図ったりした例です。
在庫管理アプリの開発や最適化
物流部門で、倉庫の在庫状況をリアルタイムに把握できるアプリケーションを開発して、業務効率を改善するといった例です。
人事システムの構築やチューニング
人事部門が、人事システムを独自に構築したり、既存システムやパッケージを自社に合うようにチューニングしたりした事例があります。
近年では、事例の報道も多く見られるようになりました。下はその一例です。ノーコードで大規模な市民開発が行われたことがわかります。
1-3 市民開発に使われるツール
市民開発には、ローコード(Low-Code)やノーコード(No-Code)ツールが主に使われます。
ローコードツールとは、プログラミングの知識が少なくてもドラッグ&ドロップでアプリケーションの構築が可能なツールです。ノーコードツールはさらに技術的なハードルを下げ、ほとんどコーディングを必要としない開発ツールです。いずれも、ITの知識が少ないユーザーでも直感的に使えるインターフェースを提供しており、学習コストが低く、短期間での開発を実現できるのがメリットです。
代表的なローコード・ノーコードツールには以下のようなものがあります。
2. 「市民開発者」の役割
市民開発を行う人を市民開発者(Citizen Developer)といいます。
市民開発者は、通常の業務を行いながら、同時にローコード・ノーコードツールを使ってアプリケーションを作成します。その役割は、業務効率化のためのツール開発だけではなく、企業全体のIT資源の有効活用を推進する点でも重要とされています。
理由としては、市民開発者が現場のニーズを最も理解していると考えられるからです。ニーズに応え、迅速に業務に適合するアプリケーションを作成することが、スピーディな部門内の課題解決につながります。
市民開発は結果的にアジャイル開発につながることが多く、小規模なプロジェクトを繰り返し迅速に展開することで柔軟に開発できるのも強みです。これにより、企業はIT部門の負荷を軽減し、DX推進のスピードを加速することが可能になります。
3. EUC(End User Computing)とは?
3-1 EUC=ユーザーが自らコンピューティング環境を構築すること
「EUC(End User Computing)」とは、エンドユーザー(最終利用者)が自らの業務に必要なコンピューティング環境を構築して、利用することを指していう言葉です。
EUCの考え方は1980年代から存在しています。1980年代から1990年代にかけては、『Lotus 1-2-3』や『Multiplan』、『Excel』といった表計算ソフト(スプレッドシート)や『dBASE』や『桐』、『FileMaker』、『Access』といったデータベースソフトウェアのマクロ機能などの機能を使用して、ユーザーが独自のシステムやアプリケーションを作成することで、今でいう市民開発が行われていたことになります。
3-2 EUCの活用例
EUCは、現在でも活用されています。利用シナリオとしては、日々の業務で必要となるデータ処理や分析などがあります。
例えば、経理部門の担当者がExcelを使って自動集計シートを作成することで、毎月の経費計算を効率化することなどです。また、営業部門でAccessを用いて顧客データベースを使用したCRMを構築して、管理業務を効率化することもEUCの事例です。
4. 市民開発とEUCを比較してみる
4-1 共通点と相違点
市民開発とEUCには、いくつかの共通点と相違点があります。まず、列記してみたいと思います。相違点については、コメントも加えます。
共通点
- 非IT部門がアプリケーションを開発する
- 業務効率化や問題解決を目的としている
- エンドユーザーのニーズに直接対応可能
相違点
- 使用ツールが異なる
...市民開発はローコード・ノーコードツールを用いて、EUCは主にオフィス系ソフトウェアのマクロ機能等を活用して開発を行います。
- 開発規模が異なる
...市民開発は大規模なアプリ開発も可能ですが、EUCは比較的小規模な開発が中心となります。 - IT部門との連携の「濃さ」が異なる
...市民開発ではネットワーク等を使用することもあり、IT部門との協力体制が重視されます。EUCは開発する規模によりますが、個人またはチーム、部署レベルでの開発が中心となり、IT部門とは連携を取らないことが多いです。
市民開発とEUCは、エンドユーザーが自ら使用するアプリケーションを作成する点では共通していますが、ツール、規模には違いが見られます。
市民開発ではローコード・ノーコードツールを利用することで開発のハードルを下げていて、業務フロー全体を包括的にカバーするアプリケーションの開発に重点を置いていることが多いのが特徴といえます。
EUCは個々の業務プロセスの自動化に焦点が当てられることが多く、特定のツール・アプリに依存するケースがよく見られます。また、マクロ等を使用するには技術的な知識が必要とされることがある点もポイントと言えるでしょう。これは、マクロ機能をあとから用意(インストール)したり、異なるPCでも動作するように部署内のPC環境を整えたりするには、知識が必要となることがあるといった意味です。
4-2 メリット・デメリットの比較
つぎに、市民開発とEUCのメリット・デメリットを簡単に比較してみましょう。
市民開発のメリットとデメリット
メリット | デメリット |
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市民開発の最大のメリットは、非技術職の社員でも簡単にアプリケーションを開発できる点にあります。これにより、IT部門の負担が減り、現場のニーズに適合した問題解決がスピードアップします。また、社員のITスキル向上やリスキリングの機会を提供することにもなり、企業全体のDX推進、イノベーションを加速させる効果があります。
一方、デメリットとしては、セキュリティやガバナンスの問題があげられます。技術的な専門知識が不十分なため、開発されたアプリケーションにセキュリティホールが存在する可能性や品質が保てない可能性があり、企業のIT部門による厳密な管理が必要になることがあります。
連携が不十分な状態で市民開発が進むと、情報漏洩や不正アクセスなどのリスクを高める「シャドーIT」問題に直結し、企業全体のセキュリティ面に重大な影響を及ぼす危険性もあります。
EUCのメリットとデメリット
メリット | デメリット |
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EUCのメリットは、ユーザーが既存のツールを活用して迅速にアプリやツールを作成できる点にあります。とくに、すでに慣れ親しんでいるツールを使うため、学習コストが今回紹介した中では最も低いと想定できます。
しかし、EUCはスケーラビリティに限界があり、大規模なアプリケーション開発には向いていません。また、ツールの技術的制約、その他の制約により、開発したアプリやツールが拡張、更新できないことがあります。
また、独自拡張をした場合、データの一貫性や管理体制が崩れ、組織全体で統一されたIT基盤を維持することが難しくなることがあり、IT部門による管理や調整が必要になることがあります。外部にアクセスする機能を有している場合などは、その存在を把握していないと「シャドーIT」問題が発生するリスクもあります。
また、属人化しやすく、開発者の異動で更新されなくなる可能性があることもリスクといえます。
5. さらに市民開発とEUCの需要は高まっていく
今後、社会のデジタル化(DX)が加速していくと考えられるので、市民開発とEUCの重要性はますます高まっていくと予想できます。とくに、AIやIoTといった新技術が台頭してきたことにより、市民開発やEUCの開発手法にも変化や革新が訪れ、一気に進化する可能性があるという指摘もあります。
例えば、AIを活用したコード生成技術により、市民開発者がより高度なアプリケーションを開発できるようになるかもしれません。また、IoTデバイスの普及によって、EUCが取り扱う範囲が物理的な環境制御を取り込む可能性があります。
その一方で、開発規模や取り扱う範囲が広がることで、セキュリティやガバナンスの課題、リスクも増大します。「シャドーIT」のリスクを最小限に抑えつつ、イノベーションを促進するバランスの取れた対応を推進するには、IT部門と非IT部門の協力体制がより重要になっていくでしょう。
企業は、市民開発やEUCといった開発手法をうまく組み合わせて活用してイノベーションを加速させ、DX推進における人材不足の問題に対応することができます。さらに社員のリスキリング(再教育)や人材育成にも利用できるため、今後さらに市民開発とEUCが注目されるようになると考えられます。
まとめ
市民開発とは、「非技術者がアプリ開発をすること」であり、
EUCとは、「ユーザーが自らコンピューティング環境を構築すること」です。
市民開発とEUCは、非IT部門によるアプリケーション開発の新たな潮流として注目を集めています。
両者とも、エンドユーザーのニーズに迅速に対応し、業務効率を向上させる手段として有効です。
しかし、セキュリティやガバナンスの課題も存在するため、IT部門との適切な連携と管理体制の構築は不可欠です。
市民開発とEUCを活用することで、企業は、より効率的で革新的な業務環境を実現できるのではないでしょうか。