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世界初のWebサイトが公開されたのはいつ?CERNの決断がインターネット革命を起こす
IT関連の歴史 更新日 2025.02.28
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世界初のWebサイトが公開されたのはいつ?CERNの決断がインターネット革命を起こす

執筆: 大木 晴一郎

ライター

もはや、私たちの生活に欠かせないインターネット。

スマートフォンやパソコンで世界中の情報に瞬時にアクセスできる便利な世界は、「World Wide Web(WWW)」の発明とWWW開発者の画期的な決断から始まりました。

本記事では、WWWの誕生から、現代に至るまでの歴史を振り返ってまとめました。

もくじ
  1. 「World Wide Web」の誕生
    1. 1990年12月20日、世界初のWebページ公開
    2. WWWの構想は情報共有からはじまった
    3. そもそも「WWW」とは?
    4. ティム・バーナーズ=リー氏の貢献
  2. WWWの進化と「パブリック・ドメイン宣言」
    1. 1991年8月:WWWプロジェクトが一般公開される
    2. 初期のWebブラウザとその発展
    3. 1993年4月:CERNがWWWの無償公開を宣言
    4. WWWが無償で公開された意義
  3. WWWが世界を変えたこと
    1. 情報アクセスの民主化を進めた
    2. ビジネスモデルの革新をもたらした
    3. コミュニケーションの変革
    4. 日本におけるWWWの普及
  4. もしWWWが特許化されていたら、どうなった?
    1. もしWWWが特許ガチガチだったら?
    2. 私たちの仕事、生活にどんな影響が?
    3. 技術革新、現代社会への影響
  5. まとめ

1. 「World Wide Web」の誕生

1-1 1990年12月20日、世界初のWebページ公開

1990年12月20日、スイスのジュネーブにあるCERN(欧州原子核研究機構)の一室で、世界を変える出来事が起こります。

イギリス人コンピュータ科学者ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)氏によって、世界初のWebサイト「info.cern.ch」が公開されました。

2013年にCERNは、WWW20周年を祝して、「info.cern.ch」を復刻公開しています。後述しますが、1993年4月30日にCERNは、Web技術をパブリック・ドメイン(Public Domain)つまり、公有資産にすると声明を発表しており、それから20年が経ったことになります。

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出典:The World Wide Web project

このページをご覧いただくと一目瞭然ですが、このページは、現代のWebサイトと比べるとかなりシンプルです。

白い背景に黒い文字で構成されており、ハイパーリンク(ここでは青字)を含んでいるのがポイントです。これが後のインターネット革命の第一歩になりました。

ページの内容は、WWWプロジェクトそのものについての説明です。WWWとは何か、Webページの作成方法など基本的な情報が記載されていました。

1-2 WWWの構想は情報共有からはじまった

CERN(欧州原子核研究機構)は、世界最大の素粒子物理学の研究所です。ここでは、宇宙の起源や物質の基本的な構造を解明するための研究が行われており、世界中から集まった数1000人ともいわれる科学者たちが互いに協力して研究を進めています。

このような環境で、ティム・バーナーズ=リー氏は、研究者たちが使用するコンピュータシステムが異なっていて、情報共有に大きな手間がかかっていることに課題を感じていました。そこで、この課題を解決するために、文書をハイパーテキストとして作成し、それらをリンクで相互に結びつけることを考えたのです。

そうすることで、必要な情報に簡単にアクセスできるようになり、異なるコンピュータシステム間でも同じように情報を共有できるようになります。この考え方が、WWWの原点となりました。

1-3 そもそも「WWW」とは?

ティム・バーナーズ=リー氏は、1989年に、WWW(World Wide Web)を提唱しました。WWWとは、Webブラウザを使って、テキスト、画像、動画などの情報がリンクでつながった形で閲覧できるハイパーテキストシステム(hypertext system)のことです。

WWWの仕組みは、URL(住所)、HTTP(通信ルール)、HTML(情報を記述する言語)で成り立っています。これにより、世界中のサーバーに保存された膨大な情報を簡単に検索・利用することが可能になります。すでにご存知のように、検索エンジンやオンラインショッピングサイト、SNSもWWWの一部です。

簡単にいえば、WWWは私たちがふだん使うインターネットの窓口として情報をつなぎ、共有するための重要な基盤になっています。

1-4 ティム・バーナーズ=リー氏の貢献

ティム・バーナーズ=リー氏の貢献は、単にWWWを発明しただけではありません。彼は、WWWを構成する重要な要素となる基本技術をすべて開発しています。

まず、HTMLです。「HyperText Markup Language」という名が示す通り、この言語で、誰でも同じ形式でWebページを作れるようになりました。次に、HTTP(Hypertext Transfer Protocol)というデータを転送するための仕組み。これにより、異なるコンピュータ間でもスムーズに情報をやり取りできるようになりました。

さらに、URL(Uniform Resource Locator)という住所の仕組み。これにより、世界中のどこにある情報でも一意に指定してアクセスできるようになりました。

2.WWWの進化と「パブリック・ドメイン宣言」

2-1 1991年8月:WWWプロジェクトが一般公開される

1991年8月6日、ティム・バーナーズ=リー氏は、それまでCERN内部でのみ使用されていたWWWプロジェクトを一般に公開することを決めました。

彼は「alt.hypertext」というニュースグループ(今でいうネット掲示板のような場)に、「World Wide Webプロジェクトに関する簡単な要約」として、WWWプロジェクトの概要、ソフトウェアのダウンロード方法、そしてプロジェクトへの参加方法を記載した投稿を行いました。

この投稿以降、世界中の開発者がWWWの技術に触れ、改良や拡張を行うことができるようになりました。

2-2 初期のWebブラウザとその発展

WWWの一般公開と同時に、ティム・バーナーズ=リー氏は、世界最初のWebブラウザであり、HTMLエディタでもある『WorldWideWeb』をリリースしています。

『WorldWideWeb』はNeXT製コンピュータ上で動作します。のちに混乱を避けるために『Nexus』に改名されました。『WorldWideWeb』はNeXTでしか動作しないという制限があり、移植も大変だったため、他の環境用のWebブラウザが開発され始めます。

1991年には世界2番目のWebブラウザ『Line Mode Browser』が複数の開発者によって作られ、さまざまなOSで動作するようになり、WWWの普及に貢献しました。

1993年になるとイリノイ大学の学生マーク・アンドリーセン氏らによって開発された『NCSA Mosaic』が登場します。

『NCSA Mosaic』は、世界で初めて、画像とテキストを同じページ上に表示できる機能を持っていました。直感的なグラフィカルインターフェース(GUI)を採用したことで、一般のユーザーにも使いやすいブラウザだったこともあって一気に広まります。

2-3 1993年4月:CERNがWWWの無償公開を宣言

1993年4月30日、CERNはWWWの技術をパブリック・ドメインにすると歴史的な宣言を行いました。

つまり、WWW技術を無償で公開し、誰もが自由に使用できるようにするというものでした。この宣言には以下のような内容が含まれていました。

  • WWWに関連するソフトウェアを無償で公開する
  • WWWの技術に関する特許を取得せず、誰でも自由に使用できるようにする
  • WWWの技術標準を公開して、誰でも自由に実装できるようにする
  • WWWの発展と普及を促進するため、技術的サポートを提供する

2-4 WWWが無償で公開された意義

CERNによるWWWの無償公開は、インターネットの歴史において極めて重要な意味を持っています。特に重要なのは、WWWがオープンな技術として公開されたことです。

この決定によって、企業や個人が自由にWebサイトを作成・公開できるようになり、さらに誰もが自由に技術を使用・改良できるため、Web技術は急速に進化していくことになりました。

現在のようなリッチなWebコンテンツや、動的なWebアプリケーションの開発が可能になったのも、この決定があったからこそで、新しいサービスやビジネスモデルが次々と生まれることになりました。

3.WWWが世界を変えたこと

3-1 情報アクセスの民主化を進めた

WWWの登場により、情報へのアクセスは劇的に変化しました。それまでは図書館や専門機関に足を運ばなければ入手できなかった情報が、インターネットに接続できる環境さえあれば、誰でも入手できるようになりました。

特に、研究、教育の分野では大きな変革が起きました。世界中の研究論文や教育コンテンツにアクセスできるようになり、地理的・経済的な制約を超えた知識の共有が可能になったからです。

また、個人が情報を発信できるようになったことで、多様な視点や意見の共有が促進されたことも見逃せません。現在では、SNSやブログなどを通じて多くの人々が自分の意見や考えを表明できるようになりました。

このように、WWWは「知識へのアクセス」を民主化する重要な役割を果たしています。

3-2 ビジネスモデルの革新をもたらした

WWWは、ビジネスの在り方も大きく変えています。

誰もが思いつくのは、電子商取引(E-commerce)の登場でしょう。WWWを利用することで、実店舗を持たずにビジネスを展開することができるようになりました。WWWがなければ、Amazonのような新しいタイプの企業が台頭することはなかったでしょう。小売業の形態もWWWを契機に変化を続けています。

今では誰もが利用している、クラウドサービスやサブスクリプションモデルなど、新しいビジネスモデルも次々と生まれました。例えば、YoutubeやNetflixに代表される映像コンテンツサービス、Spotifyなどが提供する音楽サービスは、エンターテインメント業界に革新をもたらしています。

最近では、コロナ禍の社会で広まったとされるシェアリングエコノミーという新しい経済の形も登場し、進化を続けています。例えば、UberやAirbnbのような、個人の持つ資産やスキルをインターネットで共有するビジネスモデルが生まれています。

これからも、WWWを利用して従来の経済の枠組みを超えた新しい価値が創出されていくでしょう。

3-3 コミュニケーションの変革

WWWの普及は、人々のコミュニケーションの在り方を根本的に変えました。

電子メール(Eメール)の一般化からはじまり、ソーシャルメディア、SNS、グループチャット等々の登場により、地理的な距離を超えた多用なコミュニケーションが可能になっています。

FacebookやX(元Twitter)などのSNSは、個人間のコミュニケーションだけでなく、企業と消費者、政府と市民の間のコミュニケーションにも変革をもたらしています。リアルタイムでの情報共有や意見交換ができるようになり、「バズる」現象が話題になる機会も増えています。

最近では、ZoomやTeamsなどのビデオ会議ツールが一般化し、場所を問わない働き方も可能になっています。このように、WWWは、私たちのコミュニケーションの可能性も大きく広げてきました。

3-4 日本におけるWWWの普及

日本では1990年代後半から、WWWの普及が本格的にスタートしています。

インパクトが大きかったのは、1999年のNTTドコモの「iモードサービス」とされています。iモードは携帯電話でのインターネット利用を可能にし、「いつでもどこでもWebにアクセスできる」という現在のモバイルインターネット時代の先駆けとなるサービスでした。

また、日本独自のWebカルチャーも発展しました。「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」のような掲示板サイトがブームを起こしたり、mixi(ミクシィ)などのSNS、ニコニコ動画のような動画共有サービスがヒットしたりして、独特の文化が形成され、「界隈」が活気づきました。

4.もしWWWが特許化されていたら、どうなった?

4-1 もしWWWが特許ガチガチだったら?

もし、WWWが特許で保護され、使用にライセンス料が必要だった場合、インターネットの世界は大きく異なるものになっていたのではないでしょうか?

まず、Webサイトの開設には使用料が必要となり、個人や小規模企業がWeb上で情報を発信するハードルは高くなっていると想像できます。気軽には使えないということです。新しいサービスやアプリケーションの開発も、高額なライセンス料のために制限される可能性もあります。

大きな問題は、複数の企業が独自のハイパーテキスト関連の規格を開発し、互換性のない複数のネットワークが乱立する可能性も高かったと考えられます。複数のネットワークサービスが覇を競ったパソコン通信全盛時代のようになっていたかもしれないという人もいます。

いずれにせよ、現在のような統一された情報空間は形成されず、情報の分断を招いていた可能性があります。これは最悪の場合、情報空間同士の対立を生み出しかねません。

いずれにしても、インターネットの急速な進展はなく、現在、我々が享受しているようなサービスは利用できていない「未来」になっていたのではないでしょうか?

4-2 私たちの仕事、生活にどんな影響が?

もし、WWWが特許化されていたら、現在当たり前となっているオンラインサービスの多くは存在していなかったかもしれません。例えば、SNSやクラウドサービス、オンラインショッピング、動画配信サービスなどは、ライセンス料がネックになり、実現が困難になる可能性があります。

また、新型コロナウイルス感染症のパンデミック時に多くの企業や学校が採用したリモートワークやオンライン授業も、気軽には利用できなかったと思われます。WWWが無償公開されていたから、事前に人々はその使い方を知っており、パンデミックの中でも混乱せずにWWWを使いこなすことができたからです。

おそらく、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展も遅れていたことでしょう。というよりも、WWWが無償化されていなかったら、DX自体が構想されない可能性すらあります。

このように、WWWが無償化されていなかったら、私たちの働き方や生活様式は、現在とは大きく異なっていると推測できます。

4-3 技術革新、現代社会への影響

WWWが特許化されていたら、技術革新の方向性も大きく異なっていたと考えられます。

特許の制約を避けるため、WWWとは異なる情報共有システムの開発が進められた可能性がありますが、複数の規格が乱立することで、現在のような統一された技術基盤の形成は遅れ、結果として技術革新のスピードも低下していたでしょう。

また、GoogleやFacebookのような、WWWを基盤とした革新的なサービスの多くは生まれなかった可能性が高く、人工知能(AI)やIoTなどの最新技術の発展も、現在とは異なる道筋を辿っていると想像できます。

ティム・バーナーズ=リー氏とCERNに感謝するしかありません。

まとめ

1990年、ティム・バーナーズ=リーによって発明されたWorld Wide Webは、1993年のCERNによる無償公開宣言により、人類共通の財産となりました。

この決断が、現代のインターネット社会と第三次産業革命の基盤を築き、情報アクセスの民主化、ビジネスモデルの革新、コミュニケーションの変革をもたらしました。

WWWの発明と無償公開は、オープンな技術が人類の発展に寄与することを示した、大変に重要度の高い歴史的出来事といってよいでしょう。

IT関連の歴史
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執筆: 大木 晴一郎

ライター

IT系出版社等で書籍・ムック・雑誌の企画・編集を経験。その後、企業公式サイト運営やWEBコンテンツ制作に10年ほど関わる。現在はライター、企画編集者として記事の企画・編集・執筆に取り組んでいる。